震災一考<散見される「ある言葉」について>

新年最初の記事が4月、しかも世間への批判という体たらくですがどうかお許し下さい。
先日発生した震災で辛い思いをされている方、一日も早く元の生活に戻れますよう心からお祈りさせて頂きます。

熊本の皆さん頑張ってください。頑張れ。

・・・などとは私は微塵も思っておりません。
この「頑張る」という言葉こそ、私が批判したい「忌々しき言葉」であります。
手元の岩波国語辞典(第七版)を開いてみると、307頁にがんば-る【頑張る】の語について次のように書いてあります。①忍耐して、努力しとおす。気張る。「よくー・って見事に仕上げたものだ」 ②ゆずらず強く主張し通す。「ー・って言い返す」 ②の由来は「我張る」(がはる)でありますから、震災などの際に馬鹿が挙って使うのは①の用法であるかと思います。

「頑張れ」という言葉はすなわち、「苦境に耐え、努力を続けろ」とでも書けますでしょう。私には、これが震災の被害者へ向けるにふさわしい言葉であるとは思えないのです。家財をはじめ様々な被害を受けた人々の感情は悲しみや泣きたい衝動に支配されている、これは想像に難くありません。であるにもかかわらずそれを肯んずることなく「その苦境に耐えろ」などと言うことは畜生の所業以外になんと言えましょうか。

被災者が「みんな頑張りましょう」というのでしたらそれはまだ筋が通ります。傷を負った者同士の励まし合いと解釈すれば分からないでもありません。しかし外様の、何ら被害も受けていないような輩が「頑張れ」などと言おうものならそれは私からすれば「泣くことも許されないと?」としか感じられません。

・・・2011年の東日本大震災で若干の被害を受けた僕の愚痴です。「頑張れ」というのはせいぜい、その忍耐が一瞬で終わるような「子どもが予防注射をするとき」だとか、「子どもが徒競走で精一杯駆けているとき」に使うべき言葉だと私は考えています。そしてむしろ「いやあ~これは僕頑張りました」だとか、「◯◯さん頑張ったね~」などのような、自他の肯定をする際に積極的に使って欲しい言葉だと思います

最後になりましたが、被災された方々(東北方面の未だつらい思いをされている方も含んでいます)に、一日でも早く元の生活が戻ってくるよう心からお祈りさせて頂きます。