記憶_20010911.txt

皆さんお変わりないでしょうか。岡埜です。暑さに大敗しながらもどうにかヘロヘロ頑張っております。

 

2001年9月11日に起こった同時多発テロから今年で20年になりますが、9月のカレンダーを気にする頃になると必ず思い出す、このテロにまつわる3つの映像記憶があります。1つは関連する映像がテレビでも流されるので、ご存知の方も多いかもしれません。残りの2つは完全に、私の個人的な記憶です。今日はそれを書き連ねることで、以降の経時による改変・忘却を食い止めようと思います。思い立つのが10年遅かったですね。

 

3. 飛行機が超高層ビルに立て続けに突っ込んでいく映像と、迫る火炎から逃れられないことに絶望した人たちが超高層ビルから投身する映像(が実家のテレビで繰り返し流れていたこと)
2. 日頃学校から帰っても滅多に点いていることのない実家のテレビが点いていたこと
1. その日はよく晴れていて、学校からの帰り道が暑かったこと

 

皆さんに伝わりやすいものから書きましたが、時系列的には逆で、番号の小さい順に起こりました。背景等を肉付けしたものを次に記します。

 

事件が起こって速報が入ったのは現地時間の9・11朝、日本時間の9・11夜です。低学年だった私は既に寝ており、また翌朝も新聞・テレビを見ず、何も知ることなく学校へ行って帰ってきました。その帰り道はよく晴れていて、9月にしては随分暑かったこと、実家への帰り道最後の自動販売機を通過してからは道の左側を歩いて帰ったことをよく覚えています。これは後年調べた気象台の過去データとも符合しており、おそらく帰宅後に知った事件が衝撃的すぎた為にその直前の記憶が定着したのだと思います。これが記憶1です。

 

その暑い日、母は帰ってきたバカ息子のインターホンに応えて玄関を開けると台所へ戻っていきました。私の母親は家にいても滅多にテレビを点けない人で、台所でなにかやるときのお供はラジオかCDでした。しかしその日は居間のテレビが点いていたのです。並々ならぬ違和感を覚えて覗き込むと、そこには煙を吹きながら燃える超高層ビルと、自分が助からないことを知り諦観しそこから身を投げる人々が繰り返し映されていたのです。これが記憶2と3です。点いているテレビに気づいた瞬間の「なにかが起こったんだ」という感覚は、毎年映像を見ている記憶3よりもはっきりと体に残っています。

 

以上が2001年当時からの私の記憶です。人は忘れる生き物というくらいなので、普段安穏な日々を過ごしている限りは思い出すことも少ないのですが、それでもなにかきっかけがあったり、この時期になったりすると必ず思い出します。子供にはあまりにも衝撃的な事件でした。

そして既に書いた通り、この記事の意図は今後の改変・忘却に対する予防であり、ここから先には何らの考えもございません。気づけば20年前の記憶がはっきり残っているような年齢になってしまいましたが、勿論この間ろくに成長なんかしておらず、足踏みと地団駄を交互に繰り返す人生を満喫しております。これからも成長の気配乏しい私ではありますが、せめて、この暮らしが大変にありがたいことだということだけは肝に銘じておきたいと思います。面白い事も言えず申し訳ないですが、そのあたりは次の記事を書く自分に丸投げすることにいたしましょう。