超絶技巧、未来へ! 明治工芸とそのDNA (三井記念美術館)

皆さまお久しぶりです。年末年始の支度に何ら手を付けていない岡埜です。

大掃除の準備やらワンストップ申請やらを放り出して会期最終盤の三井記念美術館へ行ってきました。企画展のタイトルにもなっている、超絶技巧としか表現しようのない力作を数多鑑賞できて大満足です。本展は今風に写真撮影が可能でした(一部作品のみ)ので、よく撮れた1枚だけですがこの場でも公開してみようと思います。

写真撮影を許諾いただいた作品については、微力ながら名作を世に広めるお手伝いをさせていただきます

本展は「明治工芸とそのDNA」と掲げている通り、明治期の作品とそれに呼応するような現代の作品とが展示されています。展示室に入ってすぐのところで出迎えてくれたのはこの作品でした。

吸水/福田享

作品紹介を要約すると「1. この作品は無着色。2. また水滴部分はその部分の厚みを残して板を彫り下げて作った。3. 蝶が乗っている台座は一木造」という狂気すら感じる一点です。どうやって制作されたのか頭では即座に理解できますが、同時に自分が同じことをできるわけがないということも容易く理解できる、本展が謳う「超絶技巧」の凄さを伝えてくれた様に感じました。どれも「何をしているのかわからない」ではなく、「何をしているかはよく分かるがまったくもって常人離れしている」のです。

この展覧会には日常生活の中によくある身近な存在をモチーフにした作品も多くあり、そういう意味では非常にとっつきやすいのです。しかしそれらの作品も全て超絶技巧によって形作られています。ある人は銅板から紙製品を、またある人は木材から金属製品を作り上げる...手先の器用さを極めに極めたが故に、凡百の一般人にはできない方法で作品を生み出してしまうのです。これ以降出口に至るまでずっとこの調子でスゴ技を投げつけられました。

 

自分の不器用な手先を眺めながら足を進めること3時間、木彫、漆工、陶芸...多数の超絶技巧に陶酔しきったわけですが、その中途に見つけた素晴らしい一文を共有させていただこうと思います。刺繍を作られている蝸牛 あやさんの「鳳凰」という作品を紹介する中での一文です。

「道端で見つけた葉の中に鳳凰を発見した蝸牛。」

果たして私達は日頃ここまで事物を具に観察しているでしょうか。正対しているでしょうか。ただただ漠然と視界に入ってくるオブジェクトを処理し、その中に潜む鳳凰を見過ごし見落としているのではないかと思ってなりません。超絶技巧の本質の一つに鋭い観察があることは確実です。いい加減な認知を起点としてしまったが最後、どれほど素晴らしい技術をもってしても超絶技巧には到達し得ないのです。

 

他方、会場の映像展示コーナーで見かけた「ここは別体で作ってネジで留めても誰も気づかないだろう。しかし私が許さない。だから一体で作る」という考えもまた超絶技巧の本質であるように感じました。製作者に一番近い立場で作家がその厳格さを堅持してくれた、一般の鑑賞者が気付くことのできない細部にまでこだわってくれた作品を鑑賞することができる、大変に贅沢なことだと思います。

 

岡埜も一応は働いてはおりますが、納期や予算や部門間の意見といった相容れない複数要素を総合的に勘案して行動を決定する、つまるところ「落とし所」を探すことでお給料をもらっている身からすればこの姿勢には尊敬と憧れの念を抱かずにはいられません。第1回と2回の超絶技巧展は無知ゆえにスルーしてしまっていたのですが、次の第4回は必ず見に行きます。素晴らしい企画展でした。